青梅日記

 

青梅日記

 

懐かしい工場(こうば)

島根県益田市


親の車で、小中学校時代よく灯火採集にいった工場へ行ってみた

廃墟になったかと思ったがそうでもないらしい

日曜日の為か特に人気はなかった

 

キボシアシナガバチの巣

島根県益田市

 

島根県益田市


オーナーは不在だった 本種はこのあたりではどこでも見かける

 

矢印の中を覗いてみた

島根県益田市

 

ご存知、コガタスズメバチの巣

島根県益田市

 

島根県益田市


家主は不在かと想って煙突部分をもぎ取ると、中から女王が怒って出てきた

 

島根県益田市

 

雀蜂と燕の相部屋

島根県益田市


ある部屋に入ってみると、下には雑誌が散らばり、

上の蛍光灯の掩蓋には向かい合ってツバメとコガタスズメバチが巣を構えていた

 

コガタスズメバチの初期巣

島根県益田市


この巣は煙突部分が造られておらず、下がポッカリと開いたままになって居る

2年まえ青梅の公会堂に造られた巣と似ている

明色の巣材が多く用いられていて、コントラストが美しい

 

島根県益田市


女王のお出まし

 

巣盤と外皮

島根県益田市


ここに住んでいた学生時代、こんなに簡単にコガタの巣が見付かっていたら

“少し違っていたんだろうな”と想う

後悔することばかりです

 

コシアカツバメの巣

島根県益田市


久しぶりに見ました

以前住んでいたころ、集団で営巣していたところは綺麗に無くなっていて、

この工場の片隅にぽつねんと一つありました

 

島根県益田市


周りにトリを見かけないので、もう居ないのだと想い木切れで打ち砕いて

中を見てみました 2重構造になっておりました

 

戻ってきたコシアカの親たち

島根県益田市


『頭上で声が聞こえる』と想ったら親燕が戻っていました

申し訳ないことをしてしまいました まだ間に合うでしょうか?

 

コシアカツバメ

島根県益田市


普通のツバメよりスマートな感じで、昔から好きでした

 

昔住んでいた県営住宅

島根県益田市


工場を出てすこし歩くと、小4から高3までを過ごした家に着きました

この一番端っこの室です

ガスボンベも樋も昔のまんまです

フェンスの向こうにも沢山の棟が在りましたが、今は跡形もありません

棟列の端には公園が在り、その向こうは田んぼで、

その用水路にはコオイムシが棲んでました

昔は土手道にガードレールなどなく

狭い道で、コンクリートで護岸などもされていませんでした

路肩にはヌルデやハゼノキが生えていて、秋に色づきました

その下の溝にはミズカマキリやタイコウチ、カトリヤンマの幼虫等が居ました

 

青梅日記に載っている最初のころの写真はこの室の中を写したものです

あれから早、19年 いろいろな事がありました

これからももっといろいろな事があります

ただ言えることは決してプラス方向に向かっていないということです...

 

島根県益田市


この路地も懐かしい 

この3棟に囲まれた空間は何も変わっていない

(その向こうは変わっている)

 

昔、時たま行った廃屋

島根県益田市


2階で古い刀を見つけた

 

脱穀小屋

島根県益田市


此の辺も益田市になった以外は何も変わっていない

 

小学校時代を過ごしたランチルーム

島根県益田市


4時間目が終わると、ここで給食を食べさせられた

嫌いなものも最後まで残って食べさせられた、

怨念のこもった場所である

おかげで昼休みは毎日のように潰れていた

 

全体的にほとんど変わっていないと思う

島根県益田市


毎日ここに入るのは恐怖だった 今日の献立が怖かったのだ

 

この時の屈辱はいまだに癒えない

いや、私が生きている限り癒えることはない

私という人間が否定されたのだから

「偏食の私を虐待した教員ども、何処に行った!!」

だが、まだここは甘い方だった

山口時代の幼稚園や小学校のころのほうがよっぽど酷かった

嫌いなものを無理やり口に放り込まれ、

無理やり牛乳や水で飲み込まされた

そればかりか全部食べ終えるまで、

教室の自分の席で放課後までも残された

午後の授業や終礼が終わって

外では上級生の部活のボールを蹴る音が響く中、

私は身動ぎもせず夕日を浴びて一人机に座り続けた

因みにここでも“無理やり牛乳で、嫌いなものを一つずつ飲み込む”

というのは強要された

私は教師の権力には一切抵抗できないというよわっちい性格だった

 

私は幼稚園、小学校低学年、中高学年、中学一年と少なくとも4箇所でこういう虐待を受けている

よほど虐め甲斐が有るのだろう